アラブーム王国(アラブームおうこく)

公用語:アラブーム語、トルコ語
首都:ガネロシ(Ganero?i)
面積:152,323坪(503,427平米)
政府:王国制(政教分離)
国王:チモジール・アラブーム(Çimocil Arabümu)
王子:ユージダマード・アラブーム 第34王子(Yucidamaldo Arabümu)
建国:1973年3月30日
宗教:ブーム教
人口:2〜10人(季節ごとに変化)
通貨:アるラ(alra)1,000,000 ALRA ≒ 1,000,000 JPY
時差:UTC +2

【概要】
アラブーム王国(日本語:アラブームおうこく、英語:Araboom Kingdom、トルコ語:Arabümu krall?k)、通称アラブームは黒海のど真ん中に浮かぶ小さな島。中東のひょっこりひょうたん島とも呼ばれ親しまれているが、ろくな産業もなく国としての存続が危ぶまれている。

【日本との関係】
その昔、日本人外交官であった「しんばるしんた」が中東視察でアラブーム王国へ立ち寄った時に、謎の組織に拉致監禁される。数年に及ぶ洗脳の結果アラブーム王国のスポークスマンとして働くことになる。その後、第34王子である、ユウジダマード・アラブーム王子の付き人として日本に滞在(帰国?)して、音楽活動により得た収入を王国への仕送りを試みる。しかし、最近では仕送りどころか借金まですることになり、国の財政は日々悪くなっている。その原因のひとつに王子の日本における無節操な贅を尽くした生活にあるといわれているが、誰も確認することができない。

【産業】
昔はチョウザメを中心とした漁業が盛んであったが、現在はほとんど漁はされていない。現在は主に観光産業を主軸に営まれているが、世界的ガイドブックであるロンリープラネットは10年前に刊行されていらい増版、更新はない。

【位置】
緯度・軽度:43.4319, 33.2635。黒海のほぼ中央に位置する。
以前は観光地として有名だったころはGoogle MAPでも検索可能であったが、現在は削除されている。

【歴史】
紀元前1500年には文明があった形跡が残されているが、その時代の人骨が一体も発見されていないために「失われた文明」として一部のオカルト愛好者に支持されている。

歴史的文献に初めて出て来るのは1453年。コンスンタンティノーブル(現イスタンブール)をオスマントルコ軍が占拠した頃、将軍などの上流軍人のためのバカンスの地として描かれている。その後オスマン帝国の領地となり、黒海の真ん中に浮かぶ小さな島ということでリゾート地として流行ったが、一部流刑などにも使われたため、かなりにカオス状態ではなかったと思われる。

1922年のオスマン帝国崩壊後は放置状態となる。元々娯楽と流刑という欲望の塊のを凝縮した小さな島であったため無法地帯となったが、ある意味スラムとしての秩序はできていたため、東欧、西アジアで行き場を失った者たちが集結する「無名の独立国家」として数十年繁栄を続ける。この頃主な産業はチョウザメを中心とした漁業で、一部はトルコやルーマニアやウクライナに輸出されていた。

1970年。ヨルダンで起きた「黒い九月事件」の容疑者に、当時トルコ政府の官僚であったチモジール・アラブームの名前があがり、事実究明も行われぬまま国外追放。行き場を失い「無名の独立国家」にたどり着く。その頃島では疫病が蔓延しており、人々は死に体ばかりだった。医学の心得のあったチモジールはチョウザメの卵(キャビア)を特殊な手法で調合した万能薬を精製して人々の命を救う。仲良くなった島民たちに、汚名の罪で島流しにあった事を話すと、彼を崇拝していた島民たちは島を本当の独立国家にすべく奮起する。
オスマン帝国崩壊後もこの島の所有権を主張してきた(と思われてた)トルコ政府に対して独立宣言をする。戦争にまで発展する覚悟で挑んだがあっさりと認めらる。実はトルコ政府は島の存在を完全に忘れていただけであった。

1973年。チモジール・アラブームを国王として「アラブーム王国」が建国される。
それから、国王は島全体を観光事業で盛り上げようと中世のオスマン帝国にあった「ハレム」をイメージしたテーマパークを建設。一時期は来訪者月間100万人を超えるほどの有名テーマパークとなったが、2001年のITバブル崩壊とともに急速に衰退。現在では3つのアトラクションを残すだけとなっている。他の施設は放置されており、廃墟マニアの間では「失われた楽園」として支持されている。

 
 
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